ひとつのことを続けたら‥‥


ひとつのことを続けたら、心がかたちとなり祈りとなり凛とした世界が見
えてきた‥‥私のひとつのことは三味線との出会いであった。
6歳の6月6日に稽古事を始めると長続きするとよく言われるが、まさしく
半世紀以上が過ぎ、振り返ると冒頭の言葉になった。

伝統芸能を習うことで行儀作法が身につくことを願った祖母の思いであ
ったが、ここまで続いたのは私の持って生まれたDNAと三味線の音が
触れあい、時の流れと共にひとつになっていったのだと今にして思う。
しかしながら、それを会得してゆくには長い年月がかかり、その道のり
は今も果てなく続いている

弦楽器(撥音楽器)は心臓の鼓動のようなもので、穏やかな時はゆるや
かに、哀しい時はしめやかに、怒りの時は血が逆流するかのように激し
く‥‥弦は心に響く。でもそれを感じ、表現できるようになるには日々の
稽古の積み重ねでしかない。
三味線音楽は色々なジャンルに分かれており、その表現の仕方は様々
である。

私は長唄から始まった。6歳だからただ師匠の前に座り口の動きをまね
撥の握り方を覚え、一音一音たどってゆく。そこで気持ちを集中すること
を覚え、出来なかったことが出来るようになった時の喜びを感じるように
なり、努力した結果を舞台で発表し拍手を頂き子供心に苦労したことが
報われることを身体で知るようになる。
歳とともに型にはまりたくないという自我が芽ばえてゆき三味線と唄と
の微妙な関係の難しさに苦労するようになる。長唄は邦楽のなかでは
単純明快な間合いであったが、やはり一般のポピュラー音楽とは違う
難解な曲を覚えるには忍耐が必要だった。
やがて歳を重ねてゆくうちに、えも言われぬ哀調を帯びた曲に心惹か
れるようになり、それに付随して様々な人々との出会いとなってゆく。
二十歳過ぎに叔母から小唄を習い、爪弾きの繊細な糸のゆらぎと、心
を繋ぐ言葉との言わば未知なる男女の距離
「水の出花と二人が仲はせかれ逢われぬ身の因果‥‥」
自分の境遇からは知りえない苦界に身を置く女の、切ない恋心を想像
しながら唄う時の甘酸っぱい感触。
その後、古曲・富本の師匠に出会い、三百余年前の江戸時代の大阪で
生まれた豊後浄瑠璃の歴史の重さと屈折した節廻しのなんと難しいこ
と!鏡の前でどんなに声を張り上げても男声の太く低い声が出ない・・・
たまりかねて母が「女のあなたには無理よっ!」と慰めてくれたこともあ
った。でも、近松門左衛門の「まだ文も見ぬ恋の道 露の情けに濡れ初
めぬ 色気知らはの生娘なれど‥‥」と【稽古娘】の一節を自分の成就
しない恋の想いと重ねてひたすら唄ったこともあった。
ある時、私の必死の声を楽屋で耳にした盲目の地唄演奏家が「唄の心
を教えたいが・・・」と地唄の道へと導いてくださった。
6年間の差し向かいの稽古を繰り返しながら、やがて世の中の不条理
や努力だけでは解決できないことがあることを悟り、唄うことは心を無に
して内なる言葉が聞こえてくるように祈ることであると「花も雪も払えば
清き袂かな‥‥」と【ゆき】の静寂な世界を唄える歳にようやくなってき
た。

ひとつのことを続けてきたからこそ、いつしか心がかたちになり、凛とし
た世界が見えてきたような気がする。

                                                                          (2009年11月5日)