新年に思うこと


昨年の賀状に「身をひとつ 心をひとつにして 悠久の時を唄いたい」と
記したが現実はそうはゆかなかった。
芸一筋とはゆかず、稽古がすむと師匠から主婦になり、母の待っている
病院に走り又ある時は・・・といくつもの自分と向き合ってきた。
歳と共に「夢かうつつか現が夢か・・・」と言う古曲の一節の行き来が激
しくなってこれが人生の妙なのだと納得するまでに至った。

明けて今年は、「嘘とまことのまんなかで 揺れる心をまんまるに 唄っ
てゆければ・・・手毬唄のように」と悟りのような文句になった。現実に
起こるべくすべてを受け入れながら心穏やかに唄って行きたいとの思い
から。

元日は兄弟の住む西鎌倉で迎えた。
私の住む都会の喧騒が嘘のように思える森と海が近くに広がる光あふ
れる部屋で雑煮を食べほろ酔い気分で初詣に江島神社に向った。

青くひろがる空に雪を抱いた富士山がくっきりとそびえ、マルグリットが
描くマシュマロのような雲が舞い、水面には「春の海ひねもすのたりの
たりかな」のゆったりとした波間が織りなす光の粒が参拝にゆく善男善
女に降りそそいでいる。青銅の鳥居をくぐると左右に土産物屋や食欲を
そそる飲食店が並ぶ。その一本道の果てが赤い鳥居の江島神社境内
になり源実朝が建立した御社に日本三大弁天が奉られている。弁財天
は富かな実りをもたらす七福神の紅一点で芸能の神といわれている。
前回と同じくお参りした時に三味線の精進を誓って妙音弁才天のお守り
を求めた。美しい白い裸体に琵琶を抱えた女神の源はサラスバティと
いうインダス川の神であるという。だから水の流れは音楽やよどみない
お喋りに結びつき芸能の神なのだと、「吉」と出たおみくじを引きながら知った。
昨年末の「たより」に川の流れのように三味線と共に歩み続けて行きた
いと記したことが不思議に一致した。

人波にもまれたので休憩しようと辺りを見回すと、どっしりとした門構え
の「岩本楼」が目に入った。
鎌倉時代に端を発する由緒ある旅館の片隅にある喫茶室は、客を呼
び込むような世俗とはまるで無縁のように正面の窓から海がひろがり
静かに客の訪れを待っていた。
香りのよいコーヒーを味わいながらの心地よいひと時を後にしようと立ち
上がるとロビーにひっそりと奉られた黒光りする木彫の「八臂弁財天」に
心奪われた。白く麗しい妙音弁才天とはあまりにかけ離れて八本の手
に宝珠・宝棒・宝前(矢)・宝刀・宝弓などを携え戦う武将のように雄雄
しい弁才天なのだ。鎌倉初期の作で源頼朝が鎌倉に幕府を開く時に、
藤原秀衝調伏祈願の為に勧請せしめた像だという。女神に武器を持た
せて守り神にするなんて・・・本来美しい裸体に琵琶を抱えていた神な
のに・・・そう思った時にhermaphrodite (男女の両性質を持つ人間)の
言葉を思い出した。

はるか昔の私・・・女であるがゆえの唄を唄うことが辛くなった時、苦界
に沈む遊女の心を唄った三味線唄の多くは男が作ったことを知り、これ
からは男女に拘ることなく人間本来の心根を唄って行きたいと思ったこ
とがあった。
歌舞伎だって出雲の阿国が若衆に傾いて現在に至っているし、芸者の
元祖の深川芸者だって男と同じ様に黒い羽織を着て、男名前のべらん
めいだったし、ジャズシンガーのビリーホリデイだって男名前だった・・・
今年は夢か現かなんて漂っていないでひとつタイガーでゆきますか・・・

そう思いながら白金の自宅に戻ると白石かずこさんから賀状が届いて
いた。
美しくやさしい布咏さんの心と芸は強い元気なTiger だからこそやって
ゆけるのです 詩もそうです 今年もどこかでTiger tiger しましょう

                                                                          (2010年1月15日))