銀座の風に吹かれて


暑かった葉月の夏も末になり夕暮れには涼風が柳になびく頃
銀座5丁目角のギャラリーで催されている浅葉克己氏の「ウレ
シー・ボクー」展に行った。
東京ADCグランプリ2009受賞記念展である。
浅葉ワールドが拡がる小さな会場は若者でいっぱい!その中
でひときわ若い赤いハットの氏がいつものように私の目を真っ
直ぐに見て熱く強い握手で迎えてくれた。

今までに手がけたポスター・北朝鮮の旅の写真などを背景に、
受賞の対象となった細かな文字がびっしりと蟻の行列のように
続く日記が公開されていた。
奇想天外なデザインや無駄のない短いフレーズにすべてが凝
縮されている文字の名作の数々は、この日々の細やかな意識
の積み重ねから生まれたのだとつくづく納得してしまうほど圧
巻である。
さきほど9年間連続200本安打を達成したイチローのように
軽々と・・・の種明かしのように思った。イチローはそうはしない
けれど氏はあっけらかんと手の内を見せてくれる。てらい
のない性格もさることながらやはり自信と覚悟をそこに見た。

昨年の7月に東京ミッドタウンの21デザインサイトで「祈りの痕
跡展」を見に行った時を思い出す。初めて訪れたミッドタウン・・・
雨が降り一人でとぼとぼと会場を探していたら、まるで白馬の
王子様のようにどこからともなく颯爽と氏が現れ道案内をして
下さった。
氏は数年前から中国南雲省ナシ族の象形文字/トンパ文字の
研究やデザインをしており、それをもとにさまざまな世界の文
字にまでデザインを拡げていった素晴らしい展覧会であった。
私の好きな【人間、覚悟に至って香りたち】は、平成16年元旦
に自身のこれからの芸の行く末を思案していた時、ふと本棚で
目にした氏の著書「生きる力を下さいトンパ」のなかで出遭った
言葉だった。

銀座の風に吹かれて過ぎし昔をなつかしく思い出す
氏と初めてご一緒したのは1998年秋田で開催された日本文化
デザイン会議「三美主義―さあ世紀末」の最終日に行った「三
味線のエロス・浮世絵の世界」であった。12枚の大きな和紙に
写した浮世絵を前にジョン・ソルト氏と共にきわどい会話もデザ
インされてしまうウエットと洒脱の応酬がなんとも楽しく弟子の
照沼多佳子と笑いをこらえながら、江戸の遊女の世界を三味
線で唄ったこともあった。 (たより28号)

2002年9月に青山曼荼羅で開催した「第3回ニュアンスの会・伝
統は妄想なのか」のチラシをデザインして下さった。
当日はご多忙の中を縫って軽妙で楽しい司会をして下さり、昔
馴染みの詩人・谷川俊太郎氏やジャズピアニストの渋谷毅氏
と共に伝統音楽がシュウルでジャジーな音楽と見事に融合し、
ライブハウスが嵐のように興奮の坩堝となった宵も今では幻の
夢のようになつかしい。 (たより36号)

思えば私はこうした異分野の方々との出逢いの中で四畳半の
世界から宇宙へと三味線の糸が縁を結びさまざまに響き合っ
て来たのだとつくづく思う。
これからも様々な風に吹かれて唄ってゆきたい

                                                                        (2009年9月14日)