風立ちぬ夏 六月の風が吹く


かれこれ5年ほど前になるだろうか・・・青山の路地裏にある
ギャラリーで催された書道展で海上雅臣氏を紹介された。
柔和なお顔でそよ風のようなお話が次々と耳に心地よくその
場を立ち去りがたかったが次の予定があったので、お辞儀をす
ると「自己紹介のかわりに・・・」と氏の主宰するウナックサロン
の小冊子「六月の風」を下さった。

後にその文面で氏が棟方志功や井上有一を「二人の作品に
は漢字や墨による日本の伝統の根っこがある」と熱く説いてお
り「伝統と革新」をテーマとしている著名な美術評論家であるこ
とを知った。
爾来「六月の風」と「美紗の会・たより」による行き来が続き、毎
号送られて来る巻末のページに記される折々に感じる切れ味
のよい氏の随筆が何よりの楽しみとなった。

この弥生月の半ばに「文月の薊の会の折に是非追分の拙宅
にお立ち寄りください」との一通の嬉しい封書が届いた。
「美紗の会・たより」の7月26日軽井沢・鶴間邸での【第2回薊の
会─ファドの孤愁・江戸唄の儚】の開催案内を目にして下さっ
たのだ。

当日は東後市にある梅野記念絵画館で氏主催の棟方志功・
八木一夫・井上有一「戦後美術の三人展」の最終日にもかか
わらず驟雨を縫って車で駆けつけて下さった。
ギターと三味線の弦が絡み合ったファドと江戸唄は、のどかな
軽井沢の高原の地を一変するほどに激しい雨をもたらし、「真
夏の夜の夢」のような忘れられないドラマティツクな想いをそれ
ぞれの胸に刻んでくれたようであった。

翌日もその余韻を楽しむかのように静かに降る雨の中を車で
追分に向かう。あらかじめ氏に住所を尋ねたのだが「30年以上
も前に建てた家なので番地などないから〜小川にかかる小さ
な橋を過ぎたら左に曲がり〜」とまるで堀辰雄の小説のページ
をめくるかのように繰り返される問答の末、ようやくの思いで、
うっそうとした林に佇む邸「壬子硯堂・海上」の表札にたどり着
く。異空間に迷ったかのように戸惑う私の緊張をにこやかな着
物姿の氏は魔法の風で瞬く間にほぐして下さり、緑の苔が眼に
眩しい石庭が正面に拡がる広い座敷へと導かれる。
まるで道場のように素っ気ない床の間には、掛け軸いっぱい
に跳ねる井上有一の一筆【渇】が大きな声となり、あたりの空
気を引き締めてくれるかのように妙に心地よく響く。
初めての出会いから何年間にわたる空白を埋めるかのように
ひとしきりお喋りしてゆくうちに、お土産にとお持ちした私のCD
【儚】に眼を止め「早く聴いてみたいですね!」と天井に埋め込
んだスピーカーから流してくださった。その音はわが唄声とは
思えないほどの速さで座敷を抜け、開け放った窓から雨上がり
の澄んだ空気に呼応し、まるで一瞬!天上の花びらがひらひら
舞い降りたかのような眩暈に耳を疑ったほど・・・
「まだ幼い頃、芸者をしていた叔母から小唄を習わされたこと
があってね、気が乗らないからわざと変な声を出したらあきれ
られてねっ!こりゃぁなつかしいな」と氏はうっとりと聴いて下さ
った。
それから次々とあたりに心地よく流れるわが唄声を聞きなが
ら、氏の幼き頃の思い出話やら本の話、古美術の話、古今集
の話が楽しく、よどみなく続く。馥郁たる名曲音楽に漂っている
かような邯鄲の夢気分であった。

【風立ちぬ】追分の地に【六月の風】が吹いたかのような夏の
一ページを今も思いだす

                                                                        (2009年8月18日)