縁の綱にひかれて・・・


「春はいつ  笠に降らるる雪よりも  つれなき人の冷たさをー」
で始まる地唄【縁の綱】は、春を待つ冬の寒さに降る雪の冷たさを
行方定まらぬ恋心にたとえ、夏が過ぎ秋が来て神無月の頃までに
は、出雲の神様どうか好きな人と結ばれますようにと
「勝る思いや八雲立つ  出雲八重垣  妻籠はどこに結ばん  縁の綱」
で終わる。十数年前に西松文一師から伝授され、舞と共に披露宴
や国立劇場でよく演奏した曲である。

弥生月半ばに「お水取りの本業も始まりました・・・」と達筆な書状が
届いた。送り主は和田真月師で、4月末に開かれる【邦楽サロン】
のお誘いである。
和田氏は本業の繊維会社経営の傍ら尺八の研鑽を積み、故郷の
松江宍道町にご尊父が創立した【山陰尺八道場】で、長年来多くの
弟子を育て、今回は3名の弟子の名取披露を兼ねた演奏会という。
何より驚いたのは、その昔文一師と舞台を共にしたこともあり、その
芸風は深く心に刻まれているとのことも書かれていた。
真月師は尺八の他にも清元や長唄、荻江節や小唄も嗜まれ、それ
ぞれにその世界の面白さを発見し、流派やジャンルに捉われない
邦楽を楽しむ会を続けており、今回は生家である木幡家(八雲本
陣)で行うという
松江は、茶の湯を初めとする多くの趣味に昂じた七代目藩主松平
不昧公ゆかりの地である。不昧公は富本節の隆盛にも力を尽くさ
れ、富本の家紋である七本桜は公より賜ったと、その昔私を邦楽界
に導いて下さった石川譚月師(後に四世富本豊前)から聞いていた。
又、大学時代の夏休みに山陰地方を一人旅し、真っ先に出雲大社
にお参りし、小泉八雲の生家や武家屋敷、そして宍道湖近くの宿で
台風に遭遇し、眠れぬ夜を過ごしたこともあった・・・と、様々になつ
かしい場面が浮かんできた。
これはきっと先代の師からいただいた【縁の綱】と、万難を排して参
加させていただこうと心に決めた。

4月24日は前日からの雨もやみ、宍道湖畔沿いに走る車窓からまる
で神様の啓示のようなやわらかな光が燦燦と降りそそぐ。
実は、和田師の他はどのような方々が集まり、どのように演奏をさ
れるのか皆目見当がつかないので、私のような門外漢は場違いで
はないだろうか・・・と又いつかのように不安で眠れぬ夜を過ごした。
でも静寂として豊かな水をたたえどこまでも拡がる湖面を眺めてい
ると訪れることが出来た喜びで「だんだん」と感謝の心で満たされて
いった。
宍道駅から程近い町の中心部に建つ【八雲本陣】と呼ばれる木幡
家は出雲地方屈指の旧家で、江戸時代は松江藩の下郡役を務め
る一方、藩主が領内巡視や出雲大社参詣の際に本陣を努めたこと
に由来し、享保十八年建築の母屋は江戸中期の代表的な民家建
築として重要文化財に指定されている。東西50メートル程の白壁板
塀の中央のべんがら塗りの格子造りの玄関を入るとひんやり暗い
土間が広がり、その奥座敷から一筋の光に導かれるように三味線
や琴の音が聞こえてくる。

逸る心を抑え長い廊下を渡り大広間【飛雲閣】の襖を開けると正面
に由緒ありげな墨絵に幾重にも色鮮やかにひろがる扇をあしらった
二双の屏風の前ですでに地唄や尺八曲が次々と披露されていた。
全国各地から参加された50名余の演奏者はそれぞれに見事な演
奏ぶりで、流派も芸暦も越え江戸時代から伝えられた地唄や筝曲
がおおらかに響いていた。
真月師の志を継いだ呼月、浪月、圭月の三名が吹く尺八の音も格
調高く広い座敷に馥郁と香り、真月師の提唱する謙虚かつ誠実で
立派な芸風が受け継がれており改めて師の志の高さに感服した。

    
門外漢の私は地唄ではなく、端唄の「宇治茶」「嘘とまこと」そして最
後にご祝儀曲の「蓼三番叟」を演奏させていただいた。
座敷に配された数々の掛け軸や調度品の重要文化財。庭には、
不昧公がいたく気に入られたという「片袖の手水鉢」など、演奏会の
合間に溜息をつくような出会いをしたせいか屏風の前で唄っている
うちにかって味わったことのない重圧感に覆われ、遠くに望憶の声
を聞いたような気がした。幼い頃に偶然に出会った邦楽がこんなに
長い歴史と共に時を刻んでいたのかと思うと恐れ多く、まだまだそ
の芸では修行が足らん!と叱られているような気がした。

演奏会の後の懇親会では思いがけない再会があった。西松文一師
の最初で最後のCD【魂の歌】の監修をして下さった前NHKチーフ  ・
ディレクター神正氏となつかしい師の思い出話に華が咲いた。
まさしく出雲の神は遠く離れていた時間や人々をこの地で一瞬のう
ちに結びつけてくれた。
それから宴たけなわの座敷にそっとお別れをし、宍道湖の夕景に
会いたくて宍道駅から松江行きの山陰本線に飛び乗った。
勝る思いはいつか結ばれる・・・
そう信じて今まで走り続けてきたけれど・・・
時あたかも湖上に沈む直前で車窓から走りながら燃えてゆく夕陽を
見ることが
できた。

かくて春浅き【縁の綱】の旅は宍道湖の夕陽で幕を閉じたが、もうし
ばらくは、三味線と旅を続けてゆこうと思う。

                                                                        (2010年6月10日)