去年今年の思い出


今年の年賀状には、再興された六角堂に正座し眺めた大海原の青さを
思い出し、
震災から蘇った六角堂
海に向かい「不完全」を
問い続けた天心のように
「心よりいでくる唄」を
唄い続けたい
と書いた。
新年を迎え久しぶりで鎌倉に住む弟宅を訪れた。
おせちを囲みほろ酔いになりテレビで日本芸能を観たいと思ったが何も上
映していない・・・
がっかりしていたら「ヴィデオを観れば」と勘三郎の舞台のいくつかを提示
してくれた。その中で迷わず河竹黙阿弥作【露小袖昔八丈】を選んだ。

幕開きは梅雨の晴れ間に初鰹の売り声が聞こえてくる。
そこへ朝湯帰りの髪結新三が房楊枝を頭に挿し浴衣の裾をちょいと上げ、
といなせな姿は何とも粋で勘三郎の切れの良い江戸弁やしぐさが誠に小
気味よい。明治時代 先代の舞台姿を観て思わず久保田万太郎が作詞し
たという「目に青葉山ほととぎす初鰹・・・」の小唄を口ずさみたくなる。
そして昨年の6月に終えた【平成中村座】を思い出した。

ようやくの思いで芝居好きの弟子にとってもらった席は千秋楽の最前列。
一人なので心細く思いながらようやく墨田公園に起つ芝居小屋に辿り着く。
昔の面影が彷彿するような幟がスカイツリーの聳える空にたなびき、半纏
姿の威勢のよい御姐さんの案内を頼りに着席すると役者の表情が目の前
で思わず興奮する。最後の演目は【神明恵和合取組】であった。
火事と喧嘩は江戸の華といわれ芝神明の辰五郎を演ずる勘三郎がひくに
惹かれぬ男の意地から「め組の喧嘩」となるいなせな鳶と相撲取りが入り
乱れての大喧嘩。舞台せましと男達が入り乱れクッションのような瓦が客
席を飛び交い舞台と客席の大乱闘は何とも迫力があった。
そしてフィナーレは舞台背景が開き三社祭りの神輿が繰り出し、花道から
は地元の若い衆の木遣りが朗々と響き、主役、端役、地元の老若男女の
すべてが舞台に集まり観客も立ち上がり、興奮の坩堝となっての忘れがた
い光景を目の当たりにした。そのすべての舵取りだった勘三郎の顔は涙で
くしゃくしゃになり、力士役の橋之介の顔も涙に濡れていた。
これこそが勘三郎の目指した歌舞伎なのだ!と身体が震えるほど感動し
たが、「勘三郎さんこんなに頑張って大丈夫だろうか・・・】と一抹の不安が
よぎったのをふと思い出す。

小屋を出てからも興奮は収まらず、そぼ降る雨に傘を傾け、山谷堀のあと
を辿り、まだ見たことのない吉原の大門を見たくなり土地勘の悪いのも何
のその。あちこちで聞きまくりひとり大門を仰ぐ。まだ明るかったのであたり
の風俗店は閉じていて時折店の前にやくざなお兄さんが立っているだけで、
閑散とした町並みに不夜城の昔の面影をしのぶ事は出来なかった。

昨年師走月27日に赤坂から豪徳寺に引っ越した松岡正剛事務所の納会
に招かれた。
壁一面6万冊の本棚の前に作成した舞台で何か演奏をして欲しいとの依
頼である。私の出番の前は端唄の大御所・本条秀太郎師と聞いたので武
者ぶるいよろしく緊張の面持ちで地下鉄・JR・京王線と乗り継ぎ、豪徳寺
駅前でタクシーに乗る。薄暗い路地をくねくね曲がるとやがて道端に闇を
縫うかのようにぼんやりと灯りが漏れ、窓から壁一面の本達が迎える黒の
館に到着する。
パーテイはすでに始まっておりグラスを持った人達が本と語らったりさんざ
めいたりしている。
かって蜷川演出による「近松物語」の吉原の舞台に紛れ込んだようにほの
かな灯りがドラマを生む異次元の世界。そのうち格子窓から客にご機嫌を
うかがう芸者よろしく私の出番がやってくる。

その昔江戸の中心から吉原は遠かった。浅草からとぼとぼ馬や籠で行く
か、柳橋から舟に乗り川風に吹かれ山谷掘で降り、土手八町を歩いてよう
やく明るい雪洞の見える王門に辿り着く。まるで赤坂から移転した事務所
へと電車を乗り継ぎさきほど辿り着いた豪徳寺の道のりのように・・・とお喋
りを交えて小唄を爪弾く。
【山谷の小舟】で吉原に着き、差しつ差されつ 酒と共に遊び【むらがらす】は
座敷につい居続けし明けの鐘であわてて遊女の布団から抜け出す客の唄。
【主さんと】は、遊女とて客につい惚れてしまい蝋燭の炎のように白い肌を
溶かすような想い。【嘘のかたまり】は、嘘と誠の真ん中でかき暮れる人情
の機微を。そして最後にその日は勘三郎の本葬儀の日だったので江戸前
の色男演ずる彼をしのび、浴衣の裾をかいどりた【髪結新三】はいい男!
と結んだ。

背後からたくさんの本達が様々に語りかけてくる。そこへ勘三郎のしぐさや
笑顔が交差して浮かんでは消えてゆく。もしかしたら音楽や芝居は世の中
の儚さを知るためにあるのかもしれないけれど、本達は、ふと立ち止まりペ
ージをめくればそばで語りかけてくれる。
先行き不安な今の世の中になくてはならないものかもしれない。
暮れから正月にかけてそんなことを思いながら・・・又この一年を大切に生
きてゆこうと思う。

                                                                        (2013年1月20日)