唄・三味線 ── そして今伝えたいこと


飯名 「今回の作品『ASYL』は恋愛モノなわけですが、古典の唄にも多くある
テーマですよね。」


撮影:清水 俊洋     
布咏 「なにしろそれに尽きてしまうところがありますよね。古典の唄は男が
作ったものがほとんどです。市井の女や遊女の思いを男が代弁して
作ったものが多いですね。季節の唄や名所旧跡を情景描写しただけ
のものもありますけど、ほとんどと言って良いくらい、遊郭に身を置く女
たちの涙、溜息、切なる思いですね。忍び泣くという表現の仕方は日
本人の持っている愛しい感情ですね。若い時はそういうことは感じら
れませんでした。なんでもっとはっきり言わないの! と苛立たしく思っ
たりしましたけれども、年を経てゆくうちに曲の中の女達が本心を表現
できない哀しさや、ひた隠している思いの底が透けて見えてくるように
なりそれが愛おしくて、大切にやさしく唄ってあげたいなと思うようにな
りました。」

飯名 「『ASYL』では[煙]もテーマになってます。煙草の煙ですね。消えてしま
う[煙]と[恋愛]というのをかけてみたのですけども。」

撮影:清水 俊洋     
布咏 「着想が面白いなと思いました。タバコの煙を思った時に、私は自分が
いつもその世界に近いから、遊女の吸う長い煙管の煙を思いました。
煙って自由に誰とでもどこへでも行けるじゃないですか。そして瞬く間
に消えちゃうじゃないですか。だからこそ、その一瞬が本当。大切。と
思えるから愛しさのかたちになる。そして現在・過去・未来と色々な行
方となって表現できるものでもあるし、ミステリアスな香りもするので人
間普遍のテーマになると思いました。」

布咏 「例えば私が縁切寺を想像した時に、一緒に居た男から離れたいので
必死に逃げて来る、でも離れると思いは近くなるっていうのかしら。縁
切寺に駆け込んだ女性が、男と離れた時にどういうふうに変化してゆ
くかという興味があるんですね。人間って一緒にいる時は何も感じなく
ても離れると、かえって近くなるっていうか、感情の反作用っていうの
かしらね。特に男と女は。親子でもそうですよね。人間の心の微妙さっ
ていうのかな、それが非常に興味深い。自分自身の中の変化も興味
深いし、世間の色々な事件だとかドラマだとかを見た時も人間だから
こそ苦しんだり傷つけあったり。だから最終的には、なんて人間って切
ないんだろうとか儚いんだろうとか、弱いんだろうとかっていうことの中
で、ものを表現できたらと感じています。今の世の中は本当に荒廃し
きっちゃっている・・・っていうふうに私は思いたくないんです。だからこ
そお互いに大事にしてゆきたい。弱い者同士なんだから、みたいなと
ころで。傷つけあうのでなくて、いたわり合って生きていきたい。その心
を表現するために音楽はあるのじゃないかしらと思っているのです。」

飯名 「踊りと一緒に演奏する場合もありますよね、日本舞踊とか。音楽と踊
りというのはどういう関係で舞台にあがるのでしょうか。」

撮影:草本 利枝    
布咏 「私はどちらかと言うと自分が表に立つよりも影にいて、私の声だとか
三味線の音がどういう風に表現してもらえるだろうかっていうことが
興味深いんです。そのために私の音楽を使っていただけたら嬉しい。
一緒にやりましょうじゃなくて、身体の奥底に入り込んでゆきたいんで
すね。目立たず音だけが煙のようにそこに漂えたら良いなといつも思っ
ています。でもある人からやりにくいって言われたことがありました。
全然私は意識してなかったんですけど、唄で踊りの部分も全部表現
してしまうからやりにくいと言われて。私は全然そういう気持ちがな
かっただけに、悩んだことがあってね。全部表現してしまうつもりはな
いけど唄の中に自分が自然と入ってしまうみたいなところがあるので
しょうね。」

布咏 「共演する時は、お互いに空気っていうか、あえてあまり意識し合わな
いみたいなことも重要なんじゃないかしら。それぞれの世界があって、
それが一つになるのですから。だからお互いに合わせようとか、妥協
しあうとかじゃなくて、それぞれが一生懸命自分が表現したいものを
表現しているうちに二つのものが一つになって融合していく。そういう
空間が作り出せたらいいなって思います。そういう唄と踊りが表現でき
たらって。」

飯名 「あえて意識はしないけども、一生懸命やっていくと2つのものが融合
していく、というのは、とても面白い話です。かといって、距離を置いた
ままではなくて、近づくというか、一見矛盾するようですが、非常にしっ
くりくる話ですね。でも、誰とでも上手く融合できる、というわけでもなさ
そうですね。」

撮影:草本 利枝     
布咏 「共演する場合、唄と踊りが持ってる感性っていうか、それを理解し合
いながらでないといけませんよね。だから考え方がかけ離れた相手と
やるのではなく、どこか底辺のところでお互いに理解し合っている相手
が良いですね。無理して理解しようとするのではなくて自然に、あぁ、
この人はこういうことを大事に表現しようとしているんだなって感じ合
える相手とやることが、二つのものが一つになりうる要素ですね。」

飯名 「すこしおかしな質問かもしれませんが、西松さんが音楽家として表現
をし続けているモチベーションってなんでしょうか?」

撮影:清水 俊洋     

布咏 「古くさい考えかもしれないけど、相手のことを思えるっていうのかしら
ね。それが生きて行くことの喜び。結局自分の欲望とかそういったもの
で生きるってことは必ずどこかで無理があるでしょうし、限界があると
私は思うのね。だから唄でも何でもそうだけど、人の心をつかめる、感
動するっていうのは、そこのところではないかなと。相手を思いやれる
とかっていう。宗教家のようなことは言いたくないけど、でも自分がね、
ここまで生きてきて、それなりに恋愛をしてきて、傷ついたり傷つけあ
ったりして、何が大切っていうか、生きられるかって言ったら結局は、
誰かのため。誰かのためになっている、そう思えてるうちは生きられる
んじゃないかって思うから。」

布咏 「自我というものが、誰かのためという風に転化した時にはじめて自我
から解き放たれる、楽になる。だから、忍耐力とか我慢するとかってい
うことじゃなくて、自然にそう思えるまで自分を見つめていくことなんで
しょうね。色々なものから逃げないで突き詰めてゆくと必ず何かが見
えてくる。私は三味線唄と共に生きてきて、もうわからない!できな
い!って、そんなことばっかりでしたけれども、ともかく続けていこうと
いう中で、ようやく得られたものなんですね。だから私の唄で人に何を
伝えられるかって言ったら、自分が好きだと思ったら諦めないで、立ち
止まらないで、一歩でもいいから前に進んだら何か見えるわよ!って
ただそれだけ。好きならば続けて御覧なさいって。私の唄はこれからも
きっとそうだろうなと思うから。」

                (2011年2月21日「アジール公演」リハーサルを終え 京都にて)
聞き手:飯名 尚人